メリタ

menu

珈琲の街・ひろさき
津軽で熟成する珈琲文化思想
弘前コーヒースクール成田専蔵珈琲店

古くから珈琲に親しんでいた青森県弘前市

青森県弘前市は日本屈指の観桜名所である。弘前公園のソメイヨシノやシダレザクラなど全52種・計2,600本が見頃を迎える4月下旬から5月上旬に行われる「さくらまつり」は、毎年200万人以上の人出で賑わう。

また、8月は重要無形民俗文化財「弘前ねぷたまつり」の勇壮な山車に息を飲む。県庁所在地の青森市が、政(まつりごと)の中心なら、人口17万人の弘前市は津軽藩の城下町として栄えた“津軽文化”発祥の地。市民のエネルギーを駆り立てる四季折々の“4大まつり”が集客を呼ぶ観光地でもある。

珈琲飲用の歴史は古く、150年前の江戸末期に遡る。幕命により津軽藩兵が蝦夷地(北海道)の警備に赴いた時、不治の病(浮腫病)の予防薬として珈琲を飲んだ記録が古文書に残る。必然的に庶民の間にも珈琲飲用は早期に浸透した。しかし、最盛期(1980年前後)には市内に650軒あった喫茶店の数は現在110店舗に減った。

創業者の成田専蔵氏は、「弘前に限らず、地方の喫茶店が減り続けることは、街自体に艶がなくなること」だと説く。以来コーヒーカルチャーの啓蒙と深耕を持続、矢継ぎ早にアイデアを創出して「街おこし」に専心している。

創業した喫茶店ではコーヒー教室も開講

独学で珈琲の知識を習得した成田氏は、1975年に5坪弱の喫茶店「弘前コーヒースクール成田専蔵珈琲店」を創業する。当時23歳。3年後には手製の焙煎機を開発し自家焙煎を始めた。

コーヒースクールと命名した理由は、珈琲文化普及の近道が「愉しみながら学ぶ」ことだと確信していたからだ。開店当初より週一回、四ヶ月のコーヒー教室を開講したことからも明らかである。

会社登記の際に、司法書士から社名(コーヒースクール)の意義を問われ、こう答えたという。45年前の話だ。

「もちろん主体は喫茶業ですが、コーヒー教室とか講演会とかカルチャー的な事業も幅広く行います。カルチャーには伸び代があり、絶えず新たな風が吹き込んでくるからです」。

長い業界歴の中で喫茶業者の凋落を見てきた成田氏は「反面教師は沢山います」と語る。「肝心なのは、お店を取り巻いてくれる人たちは、必ずしも安いから、美味しいからという理由だけで買って上げているのではないのです。細々とした生活部分も含めて、一つのコミューンを共有しているという感覚。モノ売りだけでは、決して長続きしないのがこの世界です」と明快だ。

見聞の時代

成田氏の珈琲遍歴は多彩だ。創業して間もない1979年から地元紙・陸奥新報でコラム『珈琲の散歩道』を連載(60本)、86年から東奥日報社で全国珈琲行脚の記事を掲載(48本)し、さらに88年からは専門誌『月刊喫茶店経営』(柴田書店)で「つがるかふひぃ物語」(10本)を執筆するなど幅広く知見を広げた。

郷土史との対話

一方で30年前には、蝦夷地へ出兵した津軽藩兵が珈琲を飲用していた記録を古文書で発掘する。

津軽藩は文化四年(1807)に江戸幕府より北方警備を命じられる。赴任当初から、極寒とビタミン不足のために藩士たちは浮腫病(水腫病)で命を落としていたことから、その後珈琲がその予防薬として服用された史実を知った。安政二年(1855)再び警備を担った藩士たちには、ビタミン補充の薬として「和蘭珈琲豆」が配給されていたのである。

記念碑建立の運動

この歴史的事実を顕彰するため、藩兵の詰合跡地に記念碑を建てる運動に着手。1992年、稚内市の宗谷公園に建てた「宗谷岬殉難津軽藩兵詰合記念碑」には、建立実行委員会会長名で以下の碑文を記した。

『珈琲を飲めずに逝った人々と、薬として大事に飲んだであろう先人達の辛酸を、単に歴史の一齣として忘却するには忍びがたいし、その体験は日本の珈琲文化の嚆矢としても貴重である。茲に、その偉業と苦難の歴史を後世に伝承すべく、ゆかりの地・宗谷に珈琲豆を象った記念の碑を建立することとした。』

同年、黒石市の黒森山浄仙寺に「宗谷岬殉難津軽藩兵諸々霊位」の位牌を安置して、毎年の法要と珈琲茶会を定期的に催している。

「藩士の珈琲」を現代に再現

『黒くなるまでよく煎り、こまかくたらりと成迄つきくだき弐さじ程布袋に入、熱き湯にて番茶の如き色にふり出し、土びんに入置、さめ候得ばよくあたため、砂糖を入用るべし』。

成田氏の探求心は止まらない。仕様書『蝦夷地御用留「二」』に従って再現した現代版「藩士の珈琲」を喫茶店でメニューとして提供しはじめた。さらに、小売用として一杯用「ダンク(浸漬)式珈琲バッグ」を商品化。パッケージには「その昔、珈琲は薬だった。」と150年以上前に薬として飲用されていた史実を印して啓蒙を広げた。

コーヒーで街づくり

1999年。県内の珈琲文化発展に寄与する目的で「あおもりコーヒーライセンス委員会(ACL)」を設立し、従事者の資質向上と技術及び知識の普及と推進のために、認定資格制度を作った。

さらに2009年には「弘前は珈琲の街です委員会」を立ち上げ、珈琲茶会の催しやコーヒーマップ作成などに尽力した。

また2015年には、殉難藩士を描いた演劇「珈琲法要」を上演、その翌年はコーヒーパフォーマンス集団「赤い果実」を結成するなど文化活動の幅を広げた。同年6月、弘前大学校内にある国登録有形文化財(旧制弘前高校外国人教師館/1925年築)にカフェを出店。1、2階約30席、大正末期の内装をほとんどそのまま活用したノスタルジックな洋館の「弘大カフェ」は、観光客も立ち寄るスポットとなっている。

こうした様々な地域文化の振興活動が「『珈琲の街・ひろさき』のブランド化に貢献した」と表彰され、2016年に弘前商工会議所より「弘前街づくり大賞」を受賞した。

炭焼焙煎珈琲で地域振興

弘前市街から車で25分走ると、世界遺産・白神山地の玄関口「道の駅津軽白神」に到着する。道の駅は、商業・休憩・地域振興を一体化した道路施設で、全国に約1160カ所ある。20年前に開業し老朽化した同施設は、昨春に「津軽白神物産センタービーチにしめや」と改装されリニューアルオープンした。中核施設の体験型焙煎工場兼カフェ「白神焙煎舎」はコーヒースクールの運営だが、「産・官・学・金」の4者連携による地方創生拠点整備事業の一環として操業の運びとなった。

所在地の西目屋村(人口約1355人)は、林業が衰退するなかで、農林水産省バイオマス産業都市の選定を受けたことからプロジェクトが始動したのだ。かつて盛んだった地域特産「目屋炭」の復活と、炭焼焙煎珈琲のブランド化を通じて、新たな地場産業の確立を目指している。

炭の原木は、地元産リンゴの剪定枝が主体。このため県内最大級の炭窯を自社で建造し「白神炭工房炭藏」と命名した。成田氏は「白神山地の麓でグアテマラ・アンティグアを焙煎する。世界遺産繋がりだ」と会話を膨らませる。

聖別の心を込めて焼く

「弘大カフェ」に成田氏直筆の書画が飾ってある。商いへの想いと、焙煎することへの祈りが認めてある。

売ろうという言葉は
もうやがて不要になろう

買うという氣持ちも共に
地上から消え去るだろう

買う人は買う氣で買うけど
売る我は売ると思はず

珈琲豆のひとつひとつに
聖別の心をこめて焼く

memo 取材メモ

道の駅津軽白神に開設した体験型焙煎工場兼カフェ「白神焙煎舎」の白神コーヒースタジオでは、焙煎士養成講座「コーヒーアカデミー」を開講している。リンゴ樹の「炭」を熱源とする3基の小型焙煎機(1㎏釜)で実習する。釜内温度が「160℃で生豆投入」「2ハゼ190℃ダンパー全開」など教材に記されているが、生豆の銘柄毎に焙煎曲線(ローストカーブ)は微妙だし焙煎は勘性が求められる技術だ。焙煎とは?「生豆と対話すること」とは焙煎歴半世紀の長老が残した言葉だ。

弘前コーヒースクール成田専蔵珈琲店

所在地
青森県弘前市城東北2‐7‐4
電話番号
0172‐28‐2088
営業時間
10時~19時(ラストオーダー18時半)
定休日
毎週木曜日
席数
約40席(カウンター4席含む)